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2006年1月 2日 (月)

「かをる」と「にほふ」

Curry ここ2回、香りのことを書いていてどうも腑に落ちないことがあった。それは香りと匂いの違いである。あまり区別せずに使っていたが、成り立ちは全く異なる言葉のようだ。皆さんはご存知でした?

 高校の時の辞書を引っ張り出してみると、『「かをる」と「にほふ」とは、「香」と「色」の艶な美しさを述べる点は類似しているが、「かをる」は「香」を、「にほふ」は「色」を第一義とする。なお、「かをる」を「かほる」と書くのは誤り』(『詳解古語辞典』佐藤定義編・明治書院)、とある。習ってたんだっけか。

 「かをる」は香(か)・居る(をる=存在する)が元々で、
 「にほふ」は丹(に=赤土、赤色)・秀(ほ=他より抜きんでていることや表に現れること)または穂(ほ=秀と同語源)ふ(活用語尾)。従って本来の意は赤く色づくということで、花が美しく咲き、葉がもみじ(黄葉・紅葉)するというように視覚的な語。「紅丹穂経(くれなゐにほふ)」というような用法が『万葉集』にみえるが、のち平安時代あたりから転じて嗅覚的にも使われるようになったようだ。

 色々検索してたら興味深い記事があった。

「香りの学習室」2003.9.11より一部抜粋 香り関係の書籍では「におい」は嗅覚が感じる香気・臭気の全般を表し、そのうち「かおり」は「良いにおい」、「くさい」のは「悪いにおい」などと簡単に分類してあることが多い。

 しかし作家の秦恒平氏は「茶道廃るべし」の中で、「かおり」と「におい」とは今日の鈍感な語感のせいで意味が間違えられていると断じている。とても面白い意見だと思い、興味深く読んでしまった。

 まず秦氏の主張が一番端的に表現されていたと思うのがこんな部分だ。

 【古来梅は「薫る」花であり、桜は「匂う」 花なのである】

 秦氏の意見を自分なりに咀嚼すると、「かおり」とは視覚に訴えるより先に嗅覚に訴えるもの、「におい」とは視覚に訴える要素が高いものを言うらしい。特に「色」は「におい」の方と分かちがたい関係にあるそうだ。

原文(橘コロンさん「香りの学習ノート」より)

 どうやら現代人は音に対するだけでなく、あらゆる感覚が危機に瀕しているということか。


☆写真 香るのか匂うのか、銀座の喫茶店で。

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